2017年06月06日

数学の本質  岡潔著「春風夏雨」角川文庫

数学の本質  岡潔著「春風夏雨」角川文庫

数学の本質は禅と同じであって、
 主体である法(自分)が
 客体である法(まだ見えない研究対象)に
 関心を集め続けてやめないのである。


 そうすると客体の法がt-size:150%;line-height:150%;">
 次第に(最も広い意味において)姿を現わして来るのである。

 姿を現わしてしまえばもはや法界の法ではない。

 道元どうげん禅師はこういっている
(「正法眼蔵」上巻 現成公案
 『心身を挙して色を看取し、
  心身を挙して音を聴取するに、
  親しく会取すれども、
  鏡に影を映すが如くには非ず。
  一方を明らむれば、一方は暗し』
 親しく会取するまでが法界のことであって、
 鏡の映像をよく見ることは自然界のことである。」

( 岡潔著「春風夏雨」角川文庫 発行:株式会社KADOKAWA、「絵画」より)























  


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2017年05月21日

中谷宇吉郎  『科学の方法』

中谷宇吉郎

http://youtu.be/Vifwq6LEvO8

http://youtu.be/a81f9GHnhfc

中谷宇吉郎  『雪』 1940 岩波文庫に対する感想

私は以下のような実験にいたる経緯について
本人により書かれたものとして、大変貴重な文章だと思います

特に、技術者の実験に対する考え方に
 大きな影響力を与える本であると思います




・・概要・・・ 
1932年の冬から始められた雪の結晶形の研究では、

まず札幌と
 十勝岳の標高1,000メートルの
 山小屋での結晶の顕微鏡写真撮影により、

北海道の雪結晶がその形態でも大きさでも
 著しく多様性に富んでいることがわかった。

その種々の結晶形が
 いかなる条件で生成するかを
 実験的に調べるために、

当時まだ世界に類をみない
 常時低温研究室を北大内に建設し、

1936年春
 ここで雪結晶の人工製作に初めて成功した。

自ら考案した
 二重ガラス円筒型結晶成長装置の中の

気温と水蒸気の過飽和度の組み合わせを
 色々変えて実験し、

上記の2要素をそれぞれ
 縦軸と横軸に取った図表上に
 各条件下で成長する
 結晶形の記号を示したものは、

のちに
 「中谷ダイヤグラム」と呼ばれるようになった。
・・・・・



中谷宇吉郎  『科学の方法』 1958 岩波文庫

<<<

科学は自然の実態を探るとはいうものの、

 けっきょく広い意味での人間の利益に

 役立つように見た自然の姿が、

 すなわち科学の見た自然の実態なのである。  

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どんな素朴な見方でもいいから、
 自分の眼でものを見、

どんな単純な考え方でも結構だから、
 自分の頭でものごとを考える習慣を
 つけるのが
 先決問題である。

そしてそれが
 科学の第一歩である。
(中谷宇吉郎著 科学と社会 より)

















  


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2017年02月25日

思考について

橋本凝胤のことば
凝胤師は地動説を知識としては知っておられたにもかかわらず、
「地球に住んでいる、生きているかぎりは、天道説が正しい!」と、主張されたのです。
つまり、科学というのは大事なものであるけれど、
それ以上に「情緒」というものが大切であるので、
太陽が地球の周りをまわっていると言い続けられたのです。

人間性とはいかなるものであるか。
われわれは人のために生きているのではない。
社会のためにでも世界のためにでも、世界人類のために生きているわけでもない。
それを世界人類のために
生きているような考え方を持たねばならぬように訓練されてきているわけです。(中略)

しかしこういうものに、われわれは左右されてはいけないのです。
いつでも一人のときに、一人の生活の中に、
道というものが厳然となければならないのです。

何事もこつこつと続けることの大切さ,少しずつ積み上げていくことの尊さを忘れてはいけない

岡潔のことば
一九二九年から一九三二年まで私はフランスにいた。
その間に、私は次のような「不思議」に目覚めた。俳句はわずか十七字の短詩である。
自分の句の「評価」をどうしてするのだろう。
今日非常によく出来たと思っても、翌日には、昨日のあれは気のせいだったと思うかもしれない。
むしろ今日の喜びが大きければ大きいほど、
反動として、翌日はそれを強く否定してしまいたくなるだろう。

ところで芭蕉は本当によい句というものは、
十句あれば名人、二句もあればよい方である、という意味のことを言っている。
こんな頼りないものの、
わずか二句ぐらいを得ることを目標にして生きてゆくというのは、どういうことだろう。
にもかかわらず、芭蕉の一門は全生涯をこの道にかけたようにみえる。
どうしてそのような、たとえば薄氷の上に全体重を託するようなことができたのだろう。
この問題は在仏中には解決できなかった。
帰ってからよく調べているうちに、だんだんわかってきたのであるが、その要点をお話しよう。
「価値判断」が古人と明治以後の私たちとで百八十度違うのである。
一、二例をあげると、古人のものは、「四季それぞれよい」「時雨のよさがよくわかる」である。
これに対応する私たちのものは、「夏は愉快だが冬は陰惨である」「青い空は美しい」である。
特性を一、二あげると、私たちの評価法は、他を悪いとしなければ一つをよいとできない。
刺激をだんだん強くしてゆかなければ、同じ印象を受けない。
こんなふうである。これに対し古人の価値判断は、それぞれみなよい。
種類が多ければ多いほど、どれもみなますますよい。
聞けば聞くほど、だんだん時雨のよさがよくわかってきて、深さに限りがない。
こういったふうである。芭蕉一門はこの古人の評価法に全生涯をかけていたのであった。
この古人の評価法の対象となり得るものが情緒なのである。

「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、
私は本当は情緒が中心になっていると言いたい。
・・・木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている。
・・・情操が深まれば境地が進む。 」
「コピーは紙とインキで作れるが、
オリジナルは生命の燃焼によってしか作れない。
灼熱した情熱や高いポテンシャルエナジーがなければどうにもならないのである。」

「十考えても、そのうち本当のものである可能性は一つくらいしかない。
その可能性の中で、さらにまた本当のものは十分の一だ。
(中略) 可能性の可能性と言うのは、これは「希望」のことなのだ…」
「私は、一つの詩を読んで10秒以内で判る,
同じ詩を子供達に与えて3日3晩,2万4千倍の開き、情緒の器の違いです。
今のように記憶ばかりの勉強法では、20歳が限界。
お勉強の合間、合間に美しい音楽を聴いて下さい。情緒を深めてから勉強、
一日に情緒の器作りはあればあるほど良い」
人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っています。好きにならぬのが不思議です。」

加藤耕山のことば
坐禅をして心が一つになったとき、誰しも言葉に表せない大きな悦びを感じて、
坐禅が「安楽の法門」であることを実感できる。
坐禅を始める人は多くても続ける人は少ないが、
そこまでいった人は坐禅を一生の友とすることになる。
西田幾太郎さんという哲学者が、「快楽と苦痛」ということで次のようなことを言っている。
「心が完全な状態、即ち統一の状態にあるときが快楽で、
不完全な状態すなわち分裂の状態にあるときが苦痛である」。
だとすれば、心が乱れていればどれほど豊かな生活をしていても苦痛な状態なのである。
ここでいう快楽と苦痛は、幸と不幸と言い換えても良いと思う。
「奥多摩の龍」と恐れられた徳雲院の故加藤耕山老師の偈、
行く先に 我が家ありけり 蝸牛
この句は、よく味わうと、仏法はこれに尽きる 耕山曰く。

野中郁次郎のことば
「知識を磨いて知恵にまで高めるには、審美眼や倫理観がないとダメだ。」
「経営は科学ではない。だからMBAだけでは決して学べない」
「マネジメントはクラフトでありアートであり、そしてサイエンスを総合したもの」
野中さんは、こんなコトも話していました。
「未来を知る方法は未来を自分で創造するしかない。
企業の差は、未来を創る能力の中にある。
未来はどんなに分析しても分からない。
唯一分かるのは、世のため人のために何をやりたいかということ。
そういう理念を掲げ、持続的に動機付けるためには志の高いビジョンに賭けるコト。
この「賭ける」という決断をしたときにはじめて我々は運命に抗するコトが出来る。
「賭ける」という場に立たない限り、誰もコミットしないと思うんです。
そういう未来に賭けながら、ミクロの現実の中に入り込んで未来を探っていく。
そこで得た気付きを美徳の現実、あるいは卓越性に向かって絶えずまわし続けていく。
知識を知恵になるまで磨くとはそういうコトだと思う」
野中氏は「日本には古くから理想の行動プログラムとしての“型”があった。
型は人を枠にはめるが、すぐれた型を体得すれば、動きに無駄がなくなり自由が保証される。
さらに“型”は獲得するだけで終わりではない。
“型”には不断のフィードバックを通じて革新しつづける
“修・破・離”という自己超越プロセスが組み込まれている」と述べている。
すなわち、経営の基本を学ぶことから出発し、やがて自社独自のやり方、“型”を作り、
やがて更に革新を進めていき新しい環境に合わせ、次の型を作っていくことである。
数多くの日本企業が導入に走った成果主義。
しかし、これがうまく機能しているという企業は実に少ないのが現状です。
目標管理制度の下で現場の社員がいくら頑張っても、
思うような評価を得られずにモチベーションが下がるというという状況が蔓延しているためです。
業績向上を狙ったはずが、企業の活性力を落とし、長期的には業績が悪化するということもあり得ます。

それでは、なぜ、これまでの成果主義は機能しなかったのでしょうか。
その理由は現場の社員にビジョンや戦略、戦術の背景が浸透していないためです。
すなわち、経営層や管理職の「思い」が伝わっていない。
単に、目標となる数字を下に降ろしたところで、現場は期待通りには動いてくれないのである。










  


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2016年11月19日

橋本凝胤

どんな素朴な見方でもいいから、
 自分の眼でものを見、

どんな単純な考え方でも結構だから、
 自分の頭でものごとを考える習慣を
 つけるのが
 先決問題である。

そしてそれが
 科学の第一歩である。
(中谷宇吉郎著 科学と社会 より)








われわれの生活はいつでも、

自らの心の生活でなければならない。

客観の生活であってはならない。

主観の生活でなければならない。

主体的に生きていかなければならない。


橋本凝胤・著「信仰する心とは」より



1) カルノー・サイクルの経緯のように
技術の進歩が科学の進歩を促進する。
 (科学と技術の工学的な関係)
こういった関係が「超音波の利用」には必要(注)な気がします
注:実用や応用には多くのパラメータの適切なバランス感覚が必要
特に、設計を考慮に入れた観察が行えるようになるための
経験と直感の訓練により、本質的な発見やアイデアが生まれると思います

コメント:
実用と言う制約と、
興味深い現象の中から、適切な開発・設計を行うことは
開発者の人間性によるところが大変大きいと思います
諦めずに、粘り強く努力する根拠には、「困難を乗り越える喜び」と
それを理解してくれる
「第三者(歴史的、あるいは競合者、理解者」があると考えています




2)ワットの蒸気機関の改良のように
2-1) 原理的事柄を研究する
(超音波の原理を研究する)
2-2)ニューコメンの機関を参考に、改良して効率を上げる
(プラントの制御を参考にする)
2-3)弁の開閉をピストンに連動させて交互に蒸気を供給する
(ジャグリングのような連動・相互作用・・を検討する)
2-4)遊星歯車機構を実用化する
(新しい脱気マイクロバブル構造を採用する)
2-5)速度調整を行う
(実験と調整を繰り返す)





コメント:
この経過には大変深い検討と試行錯誤の背景を感じます
実用を目的としているため、
幅広く・確実に効果を出すための方法になっていると思います
現在では各分野の研究を幅広く理解することが難しいので、
経験に基づいた直感と共同研究が大変重要だと思います
今後、超音波の利用が進み
大きな発展が実現するために検討を続けたいとおもいます







  


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2016年11月14日

新しい技術を考えていく

新しい技術を考えていく上で参考になる
「鶴見和子の創造性に関する講演」資料より


学術講演 「日本人と創造性」   鶴見和子
・・・
創造性に3つのタイプがあるのではないか

1)内発、古代論理優先->「同化型」 例 関口信夫
2)中間型     ->「折衷型」  例 柳田国男
3)概念・形式論理優先->「対立・統合型」例 南方熊楠


・・・
これらの創造性が、水俣病の患者の・・・
未曾有の困難にぶち当たったとき、人間はどのように困難を乗り越えてゆくか

それは、創造的でなければ出来ないことです

困難事態が新しい困難・・・

!!!!このような、創造性の分類は、普通の人の行き方を
!!!!ぶんせきする道具である

もう一つ、創造性の分類は
社会変動の担い手のタイプにつながっていく・・・

コメント
大変難しいのですが、創造性に取り組むものとして
重要な考え方を提出しているとともに
物を作るうえでの
社会における哲学を要求しているように感じます

参考資料
http://www-soc.kwansei.ac.jp/kiyou/53/53-ch1.pdf










補足(わかりやすい説明)
生物学の中村佳子さんは「ヒトも大腸菌も同じ祖先から生まれ、
一つ一つの生きものはアリはアリとして、ヒトはヒトとしてたったひとつのゲノムの可能性を展開し、
常に新しいものを生み出そうとする力を内に持つ『自己創出系』」と言われます。
1分前の私と、今の私では違っているけれど私は私。
同じだけれど変わるということが生きものの本質ですが、新しいものはゼロから生まれるのでなく、
異質と出会い、結びつくことで生まれるそうです。
水俣病と出会い、人間は自然の一部であり、自然破壊とは、外部の自然を壊すだけでなく、
人間自身の内なる自然の破壊でもあると気づかれた、社会学の鶴見和子さんは、
それぞれの地域の持つ伝統を生かし、
異質を加えて暮らしやすい社会を地域住民が創造するという「内発的発展論」を生み出されました。
経済成長を目的とする近代化論に対し、人はそれぞれ持って生まれたものを思いきり発現、
成長する事が目的で、経済成長は条件にすぎないと言われます。
感性論哲学では感性が人の本質であり、理性は、感性から湧き上がったものを形にする手段能力と言い、
仏教では自分の中に全てがあると言われ、
教育―エデュケーションとは内にあるものを引き出すという意味ですが、
まさにいのちは内に持っているもので、生まれ、成長するもの。
不確かな時代ですが、生きものとしての自分に込められた長い時間は確かなもの。
人は、生きものとしての45億年、先祖からの歴史、文化が出来上がるまでの長い積み重ね、
とさまざまな時間を背負って今ここに生きています。“みんな違って、みんないい”、のがいのちの本質。
連綿と続く自分の中に込められた「時間」を大切にしながらただ1回限りの命の花を咲かせませんか。

参考図書 鶴見和子 対話まんだら 藤原書店
『45億年の私の「生命」』生命誌と内的発展論 より














流体の科学〈中〉波動 (単行本)
• 単行本: 227ページ
• 出版社: 日刊工業新聞社 (2002/03)
流体の科学について(中巻へのはしがき)


 上巻の上梓以来7年が経過した.

その間に蓄積された資料のうち,流体の波動に関する部分のみをここに収めた.

 上巻のはしがきに標榜した精神はここでも変わらない.

つまり「青い星」地球を表徴する2つの流体,水と空気,
について我々が18世紀から持っている手法である古典力学,
19世紀から持っている熱力学だけを頼りに,
それでも21世紀に生きる我々の知的好奇心を刺激するに足ると思われる現象をとり上げた.

 大別するとそれは水面波,音波,衝撃波/膨張波となる.

技術の分野では,これらは海岸工学,音響学,航空宇宙工学/機械工学に対応する.
他方水面波のかなりの部分を占めるソリトンは前世紀後半に勃興した数理物理学の分野である.

 現象解明にあたって解析的手法を重視し,

上巻で要求された予備知識以上のものを仮定せずに,
式を順次追うだけで理解できるよう,「行間をとばす」ことを極力避けた.
これは本シリーズを貰くもうひとつの姿勢である.

数値流体力学が主流となった時代下で教育された研究者が多数派となった現在,
ブラックボックス化した知識の累積が
想像力/創造力の枯渇を招くという危険を予防しなければならないからである.

感想
 想像力/創造力の枯渇は、
 情報や知識による「観察する力」にあらわれていると考えます





 事実が見えない
 事実を追求しない
 事実を信じない
 事実・・・




 この本は、今の現実を心配して書かれていたように思います




 私は、「渦巻ポンプ講義 生源寺順(著)養賢堂(1943)」を読んだとき
 人に技術を説明するための、誠実な努力を非常に感じました
 その理由が、情報を利用して事実を追求していく方法が貫かれていることにあった
 と思います











  


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2016年11月13日

変わらざるもの・法は変らず

変わらざるもの・法は変らず




終戦後間もなく、
復員で薬師寺に戻ってきた高田好胤氏は、
世間の窮乏ぶりを憂い、
僧侶が消費階級に止まることを苦しみ、
薬師寺を出ることを決心し、
師匠の橋本凝胤氏に打ち明ける。

好胤は働かなければ食えずに死んでしまうと言い、
凝胤は坊主は余計なことを考えるなと諭す。

それでも食うことを考えなければ死んでしまう
と引き下がらない好胤に、

凝胤は死ねばいいではないかと応酬する。

さらに、
坊主は食うことを考えてはいけないといい、
最後にこう言った。

「そんなら、やはり死んだらいいやないか。
 お前がまともなことをやっていて、
 世間のやつが食わさなんだら、
 食わさんやつに罰(ばち)があたるんや。
 死んでもお前に罰あたらん。安心して死ね。」

「仕事を真面目にやって、
 それで喰えんかったら喰わんけりゃ良い。

 それで死ぬんは天職やないからや」
 とは薬師寺の先々代の住持であられた橋本凝胤師の言葉です
 先代の住持の高田高胤師がよくお話になっておられました






 「鎌倉仏教も、
  明治以降の近代仏教学も、
  根本的に間違っているのです。

  ほんらい日本の仏教は中国からの“翻訳仏教”です。
  その漢訳仏教はもう死んでしまっている」

 「親鸞聖人の仏教は、いってみればよわい人間のための教えで、
  人間を軽く見てる。
  人間の本当のよさを開発しないで、
  ただ、そのままでよいという、
  人間をバカにした考えにたっている。

  泥まみれで大衆のなかに入ったとて、
  それがどうして仏教といえますか。

  釈尊は人間をきれいな世界へみちびこうと考えた。
  そのとき、まず自らを清潔にして、
  大衆をその清らかさのうちへ入れてゆこうとされた。

  日本仏教はしょうじゃない。
  自分もドブ泥にしておいて、
  泥水のなかにつかり、
  大衆をもその泥水のなかに入れこもう、
  つれこもうという考えだ。

  これは根底から間違ってます。」橋本凝胤

 上記が私の指針となっていることです








  


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2016年11月06日

小平邦彦の数学

小平邦彦の数学

超音波技術を発展させる
(複雑で難しいものを論理的に考え抜く)ために

1) 数学の重要性を理解する

2) 数学への取り組みを実施する

3) 数学を応用した新しい超音波の利用を進める

 と言うことが必要ではないかと考えています

そこで、「数学者(小平邦彦)」の数学に対する
資料・記事を参考のために提示します


小平邦彦『幾何のおもしろさ』
  岩波書店(数学入門シリーズ)、1985年





また、十八世紀およびそれ以前においては、
ユークリッド幾何がただ一つの公理的に構成された理論体系であった。

だから私は子供に公理的構成の考えを教える材料は
ユークリッド幾何に限ると思うのである。

近年ユークリッド平面幾何は
数学の初等教育からほとんど追放されてしまったが、
それによって失われたものは
普通に考えられているよりもはるかに大きいのではないかと思う。

昔われわれは平面幾何で論理を学んだんですが、
幾何でないと論理を教えてもだめなんじゃないかしら。

代数なんか材料にして論理を教えようと思っても
材料があんまり単純でしょう。

小平氏は言う。
「わからない証明を繰り返しノートに写してしまうと、
 自然にわかってわかってくるようである。

 現在の数学の初等・中等教育ではまずわからせることが大切で、
 わからない証明を丸暗記させるなどもっての外、
 ということになっているが、

 果たしてそうか疑問である」







コメント

 わからない現象を繰り返し実験確認すると、

 自然に問題点が見えてくると感じています



新しいものをつくりだすためには、

第一に、無に耐える力

を身に付けることだと考えます。

「無の哲学」は無に徹し、


何者にも寄りすがらないで
無(考える)ということです。

孤独な思考に耐える精神力が重要です



超音波について
<様々な事項の複数の組み合わせ>
  ヒーター、オーバーフロー、立体液循環、弾性波、整流、ガイド波、
  出力、周波数、複数の振動子、制御・・・

Spectral sequences 
appear everywhere in nature
スペクトル系列は自然のいたるところに現れる
(コホモロジーのこころ 加藤五郎著 2003年 岩波書店より)

超音波のような複雑な現象に対する取り組みに
 様々な数学を論理モデルとして利用することで
 本質的な特徴が検出しやすくなるという考え方です。


超音波システム研究所

  


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2016年10月29日

人生観・自覚

人生観についての明確な自覚

人間は誰でも、人生観というものが明瞭でなければならない。

人生観のはっきりと立っていない人は「生ける屍」にひとしい。

しかし、現代の人々は、
どうも人生観の必要さを自覚している人が少ないように思う。



人生観のはっきりとしない人々が、
自分の自覚を失って盲動すれば、
暴力による非合理的な行動にしかならないものであると思う。

例えば、昨今起こった問題のうち、
皮相な問題としては、最大の事件となった、
学生の一部によるゲバルトの問題がある。

これは、まったく学生に、人生観も、
自己の自覚も欠けている結果起こっているものだと思う。

日本人全体としても、
人生観について明確な自覚を持たない人が多いので、
複雑怪奇な事件が起こってくるのである。

人は何としても、
なにゆえに自分は人間として生まれてきたのかということを、
まず自覚しなければならない。

さらに、自覚ができれば、
人間として生まれた以上、
何をなすべきかということをよく考えなければならない。

こうして、
人間は何をなすべきかということがわかってくれば、
人生というものの価値もわかり、
方向もはっきりしてくるのである。

今日、
われわれがその目的に向かって一所懸命に働けば、
明日はどうなるか、
明後日はどうなるかという未来のヴィジョンも顕われてくる。
 
つまり、人生観という
「一条の筋金」がその人間のバック・ボーンになるわけである。

人生観は人間としての筋金である。

いま、かりに学生のゲバルト事件を見てこれをよく考えてみると、
これらの学生諸君は次代の日本を背負う人々であることに気づく。

さらに、あとに続く高校生、中学生の人々が、
先輩の起こしているこういった事件を、
どこまで真実を追って批判し、
評価できるであろうかということも大切である。
 
これらの若い人々をいかに育てるかということは、
教育するわれわれが、
いかに自分を自覚しているかということにかかっている。
 
教育というものは重要中の重要なものであり、
教育のいかんによってその国の興亡は決定されるものである。

この興亡を決定する学生諸君の今日の状況を見て、
次の世が、どういう日本になるかということを考える時、
わたくしは、釈尊が誠説なされた、
「自覚 覚他」ということを皆さんに提唱いたしたい。

すなわち、人生観をはっきりさせ、
自己を自覚しつつ、生活をすることにより、
正しい考えによる「自覚 覚他」というものができてくるのである。

 
人生観というものは、
私たちにとって必要にして
欠くべからざるものであることを熟知していただきたい。




叩けども叩けども……
 
われわれはお互いに罪業深重で、
叩けども叩けども叩きのばすことのできない人間が寄り集まっています。

しぶといしぶとい何といっても
しぶとい煩悩と業の臭いがしみついています。

煩悩は深重、
無明長夜の闇深く暮らしているわれわれです。

しかしとにかく郭然大悟して、
本当の自覚が生まれてくれば、
こういう問題はきわめて簡単です。

しかしどこまでも
我の強い人にはこれはなかなか難中至難の問題である。

こういうことになりますので、
お互いに謙虚な立場になり、
謙虚な態度を持って日常生活の中に仏道を求めなければなりません。

すなわち自我というものに固執しない、執着しない。

自己に執着しない生活というものが
簡単にわれわれの環境の自覚によって生まれてくる人は、
比較的早くこの修行の端緒をえて、
そして進んでまいることができるし、
いつまでも自我に固執して独善ばかりで、
我がいいと思っている人は、
なかなかこれは難中至難である、
こういうふうに説かれています。

そういうことですから、
修行というものは決してむずかしいことではない、
日常生活のなかの、
つまり自覚の問題であるということになります。

日常生活寝ても覚めても、
お互いに自覚して生活をすれば、
実に簡単な問題ですし、
自覚なしに生活をしているというと、
いつまでたっても道は開けません。

こういうことですから、
どうかその点をよくみなさんもご自覚を願いたいと思います。



仏教の人間観
(講談社現代新書 192) 新書 – 1969/6/1
橋本 凝胤 (著)





超音波システム研究所<理念>

「われわれの最も平凡な日常の生活が何であるかを
 最も深くつかむことによって
 最も深い哲学が生まれるのである
 学問はひっきょうLIFEのためなり。
 LIFEが第一等のことなり。LIFEなき学問は無用なり。」
 西田幾多郎

深い哲学に基づいた
 実験(物として物を観察すること)により
 超音波の有効利用を広めていきたいと考えています











  


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2016年10月01日

良書

「西田幾多郎「讀書」」より

 何人も云ふことであり、云ふまでもないことと思ふが、私は一時代を劃した樣な偉大な思想家、大きな思想の流の淵源となつた樣な人の書いたものを讀むべきだと思ふ。かゝる思­想家の思想が掴まるれば、その流派といふ樣なものは、恰も蔓をたぐる樣に理解せられて行くのである。無論困難な思想家には多少の手引といふものを要するが、單に概論的なも­のや末書的なものばかり多く讀むのはよくないと思ふ。




































  


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2016年09月24日

眺望は人を養う

眺望は人を養う



超音波システム研究所<理念>
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超音波システム研究所のコンサルティング
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超音波装置の最適化技術をコンサルティング提供
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オリジナル超音波技術によるビジネス対応
 http://ultrasonic-labo.com/?p=9232

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2016年09月24日

湯川秀樹 「創造への飛躍」

長岡先生の休学
湯川秀樹 「創造への飛躍」
長岡先生の休学(昭和四十二年二月)より





 人間の一生の中のある時期に自分の生きてゆく道がきまる。
少なくとも一度は、どの道をえらぶかについての決定がなされねばならぬ。
 といっても、もちろん自分で決断する機会があたえられるとは限らない。親のいうとおりにしたとか、自分で考える能力のない小さい時に道がきまってしまっていたとか、あるいは経済的な事情によって、自分の希望する道が到達不可能だったとかいう場合が、過去においては非常に多かったであろうし、今日でも少なくないであろう。

 私などは仕合わせな人間で、大学教育を受けうる家庭的環境の中で、高等学校在学中に、自分の意思で物理学者として一生をすごすという決断をすることができた。それは大正の末期であった。それは私にとって、そんなにむつかしい決断ではなかった。
 それにくらべると、私よりずっと前の年代、特に明治二十年ごろ以前に青年期を迎えた人たちが、科学者となる決断をするのは、容易なことではなかったはずである。なぜかといえば、私たちの時代には、すでに多くの先輩の日本人科学者が実在していたのに反して、明治二十年ごろ以前には、科学に関しては、外国の学者から教えてもらって習い覚えるとか、外国の研究を追試するとかいう以上のことが、まだほとんど何もなされていなかったからである。

そういう時代に科学者となる決断をするに至った青年たちの心境は、どんなものだったのか。
 人によって、また選んだ専門によって、いろいろな違いもあったろうが、しかし、それらの間の違いよりも、それらと私たちの場合との違いの方がずっと大きいのではないか。そんなことをかねがね私は漠然と考えていた。

 ところが、つい先ごろ私はこの点に関する非常に興味ある文献が残っているのを知った。
それは長岡半太郎先生が八十五歳でこの世を去られる数年前に書かれた「中学卒業後の指針」と題する開成中学での講演の原稿である。その中に次のような文章がある。




 「私の時代には大学に入る予備校すなはち今の高等学校には、文理の区別はなく、今日より選択には幾分の余裕が存しましたが、私は一時相当に苦しみました。(…中略…)大学に入りて一年経過いたしましたとき、多少欧米で研究された事項を了解いたしましたが、自分は他人のなした後を追うて、外国から学問を輸入し、これを日本人間に宣伝普及する宿志ではありませんでした。必ずや研究者の群れに入りて、学問の一端を啓発せねば、男子に生まれた甲斐がない」
 ここまでは、私が物理学の研究者になろうと志したのと、大して変わりはない。大正末期と明治二十年ごろとの大きな違いは、その次の文章に、はっきりと現れてくる。

 「東洋人は研究に堪能でないか否やを明白にして、しかる後おもむろに将来の方針を一定するが得策であると考へました。まだ春秋に富んでいるから、一年を棒に振ったところで損をすることは僅かである。もしあやまてば取り返しのつかぬ事態に遭遇するから、決然一年休学を願い出て、支那における科学に関する事項を調べてみました」
 はじめて、この文章に接した時の私は、驚愕の念を禁じえなかった。
二十歳になるやならずの青年が、自分の前途を決定するために、決然として大学生としての一年間を棒に振る。
常人の考えることではない。考えても容易に決行できることではない。

 さて大学生、長岡半太郎氏の休学一年間の調査の結果は、次の文章で示されている。
 「支那における渾天儀(天文観測機)、暦法、指南軍(黄帝)、北光の観測(山海経)、有史以前に属します。○戦国時代恒星表(石氏、甘氏)、太陽黒点(?)、天の蒼々たる、これ本色か(荘子)、微分の観念(恵施)、共鳴の実例(荘子)、雷電の説明(荘子)、エネルギーの概念(荘子)(二千三百年前)、金属の研究、○銅錫の合金(礼記、周公、二千九百年前時代)、鉄製刀剣(二千二百年前)。大砲と解釈される霹靂車、すなはち火薬の利用(千七百五十年前)。ことごとく支那独創的のもの。ギリシャ、ローマより渡来せるにあらず。」
 かくして得られた結論は、
 「これほどの研究があるからには東洋人でもこれに専念すれば終に欧米に遜色なきに至らんと確信を得るに至りました。これが私をして物理学に執着するに至らしめた根源であります」

 長岡先生の出発点が、このようであったればこそ、果たして明治三十七年(一九〇四年)には世界の物理学者に先駆けて原子模型に関する論文を発表するに至ったのである。
今にして思えば、このような大先輩を日本人の中に見出していたことが、大正末期の高校生であった私をして、迷うことなく、物理学研究の道を選ばしめる要因の一つとして大きく作用していたのではなかろうか。

 最近の中国古代の科学史の研究の成果が、長岡先生の調査結果を、どこまで裏書しているかについて、私はまだ詳しく検討していないが、少なくとも「当たらずといえども遠からず」といってよいであろう。
先生は特に「荘子」が好きであったらしいが、私自身も「荘子」の愛読者である。そこには偶然の一致以上の理由があるに違いない。

 この講演の原稿の最後は、もしも調査結果が思わしくなかったと仮定した場合、どの道を択んだであろうかと問われたなら、 「恐らく東洋史を攻究したらうと思ひます」 という文章で終わっている。
この数年来、日本や東洋や、さらには人類全体の歴史に対する関心が、とみに強まってくるのを感じている私は、この最後の文章にも「なるほど」と相槌を打ちたくなるのである。

湯川秀樹 「創造への飛躍」
長岡先生の休学(昭和四十二年二月)より






  


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2016年09月24日

或教授の退職の辞( 西田幾多郎 )

「基礎研究は

 結局その人個人個人の『情熱』に依存している」と言うことを検討します

なぜ情熱が必要になるのかと言うことを考えると、

「ハンモン → 煩悶(苦しくなるほど思い悩むこと)」と言うことを思い付きます

研究は研究課題の難しさや競争などの環境を含めた問題を解決していくために

考えつづける必要があります

考えることにより悩みが生まれ、その悩みをさらに深めていく必要があり、

そのために文学や哲学は大変参考(あるいは解決を示してくれること)になると思います

「悩みを深めて行く」ために情熱が必要となるのではないかと思います

私の場合、「或教授の退職の辞( 西田幾多郎 )」

上記の参考例になったように思います
そこで参考としてその文章を提示します



或教授の退職の辞( 西田幾多郎 )

これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、

而もそれは大分以前のことであろう。



 初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々《こうこう》と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるのらしい。もう暑苦しいといってよい頃であったが、それでも開け放された窓のカーテンが風を孕《はら》んで、涼しげにも見えた。久しぶりにて遇った人もあるらしい。一団の人々がここかしこに卓を囲んで何だか話し合っていた。やがて宴が始まってデザート・コースに入るや、停年教授の前に坐っていた一教授が立って、明晰なる口調で慰労の辞を述べた。停年教授はと見ていると、彼は見掛によらぬ羞《はに》かみやと見えて、立つて何だか謝辞らしいことを述べたが、口籠ってよく分らなかった。宴が終って、誰もかれも打ち寛いだ頃、彼は前の謝辞があまりに簡単で済まなかったとでも思ったか、また立って彼の生涯の回顧らしいことを話し始めた。

 私は今日を以て私の何十年の公生涯を終ったのである。私は近頃ラムの『エッセー・オブ・エリヤ』を取り出して、「老朽者」という一文を読んだ。そしてそれが如何にもよく私の今日の心持を言い表しおるものだと痛く同感した。回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼《く》べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転《うた》た水の流と人の行末という如き感慨に堪えない。私は北国の一寒村に生れた。子供の時は村の小学校に通うて、父母の膝下で砂原の松林の中を遊び暮した。十三、四歳の時、小姉に連れられて金沢に出て、師範学校に入った。村では小学校の先生程の学者はない、私は先生の学校に入ったのである。然るに幸か不幸か私は重いチブスに罹《かか》って一年程学校を休んだ。その中、追々世の中のことも分かるようになったので、私は師範学校をやめて専門学校に入った。専門学校が第四高等中学校と改まると共に、四高の学生となったのである。四高では私にも将来の専門を決定すべき時期が来た。そして多くの青年が迷う如く私もこの問題に迷うた。特に数学に入るか哲学に入るかは、私には決し難い問題であった。尊敬していた或先生からは、数学に入るように勧められた。哲学には論理的能力のみならず、詩人的想像力が必要である、そういう能力があるか否かは分らないといわれるのである。理においてはいかにも当然である、私もそれを否定するだけの自信も有ち得なかった。しかしそれに関らず私は何となく乾燥無味な数学に一生を托する気にもなれなかった。自己の能力を疑いつつも、遂に哲学に定めてしまった。四高の学生時代というのは、私の生涯において最も愉快な時期であった。青年の客気に任せて豪放|不羈《ふき》、何の顧慮する所もなく振舞うた。その結果、半途にして学校を退くようになった。当時思うよう、学問は必ずしも独学にて成し遂げられないことはあるまい、むしろ学校の羈絆《きはん》を脱して自由に読書するに如《し》くはないと。終日家居して読書した。然るに未だ一年をも経ない中に、眼を疾《や》んで医師から読書を禁ぜられるようになった。遂にまた節を屈して東京に出て、文科大学の選科に入った。当時の選科生というものは惨《み》じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒《お》えてからすぐ田舎の中学校に行った。それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身共に壮《さかん》な、人生の最もよき時であった。多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思えなかった。然るに歳漸く不惑に入った頃、如何なる風の吹き廻しにや、友人の推輓《すいばん》によってこの大学に来るようになった。来た頃は留学中の或教授の留守居というのであったが、遂にここに留まることとなり、烏兎怱々《うとそうそう》いつしか二十年近くの年月を過すに至った。近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨《しょうま》して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君のこの厚意に対して、心|窃《ひそか》に忸怩《じくじ》たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。諸君も屍に鞭《むちう》たないという寛大の心を以て、すべての私の過去を容《ゆる》してもらいたい。

 彼はこういうようなことを話して座に復した。集れる人々の中には、彼のつまらない生涯を臆面もなくくだくだと述べ立てたのに対して、嫌気を催したものもあったであろう、心窃に苦笑したものもあったかも知れない。しかし凹字形に並べられたテーブルに、彼を中心として暫く昔話が続けられた。その中、彼は明日遠くへ行かねばならぬというので、早く帰った。多くの人々は彼を玄関に見送った。彼は心地よげに街頭の闇の中に消え去った。(昭和三年十二月)



底本:「続思索と体験『続思索と体験』以後」岩波文庫、岩波書店

   1980(昭和55)年10月16日第1刷発行

底本の親本:「西田幾多郎全集第十二巻」岩波書店 

 1950(昭和25)年

初出:「思想 第八十三号」  

 1929(昭和4)年4月

2006年3月20日作成

青空文庫作成ファイル

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入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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2016年09月22日

鈴木大拙の警告 -真実を求める努力を-

鈴木大拙の警告 -真実を求める努力を-

教育に限らず、
 私たち日本人の欠陥として、
 自分たちの願望に基づいて議論をするだけで
 事実に基づいた議論ができないことがあげられる。

・・・このことは、
 既に五十八年前に鈴木大拙が的確に指摘していた。




・・・・
まず、物を客観的に見ることを学ばねばならぬ、
 そこからこれに対して
 徹底した分析が加えられなければならぬ。

これが日本人の性格の中に這入ってこないと、
 偉大な科学の殿堂は築き上げられぬ。

科学や数学の学修を、
 単なる実用面にのみ見んとする浅薄な考え方をやめて、
 学問の根底に徹する、甚深で強大な知性の涵養を心懸くべきである。

これが出来ると自から人格の上にも反映してくるにきまっている。



・・・・

 (鈴木大拙全集 第30巻 15ページ~16ページ)1945年8月26日記


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2015年09月19日

散歩(創造)

散歩しながら考える「創造」




野山を散歩するタイプを「山型の散歩



水辺を散歩するタイプを「川型の散歩



「山型の散歩」の特徴
 静かで小さな(瞬間的:鳥の鳴き声・・)動きの環境



水辺を散歩するタイプを「川型の散歩」
 流れる大きな変化の環境




創造的な散歩のイメージ

アイデアを出す段階は、「川型の散歩」

アイデアを深く掘り下げる段階は、「山型の散歩」





コメント

 散歩とは、変化を見て楽しむこと

 注:変化には、自然や人工の環境以外に、人・人間の心や意識・・を含めた変化があります







  


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2014年07月21日

分裂型イノベーション

クレイトン・クリステンセン
“The Innovators Dilemma”
分裂型イノベーションこそ、新しい起業を生み、
現存する優良企業に打ち勝ち、取って代わることが可能となる



これからの構想について

1)実用化されてきた磁気と超音波による処理技術(ロシア)

超音波による工業用水の処理(水あかに対する超音波の作用)
これまでの経験からマイクロバブルとの組み合わせによる効果的な結果を出しています(洗剤に対する分解能力は大変高いものがあります)

2)磁気法と超音波法による水の組合せ処理

超音波による鋼材の表面清浄(表面の不働態化と腐食抑制)(ロシア)
表面の不働態化と腐食抑制に対して効果のある事象が起きていますが現状では制御できていません(パラメータが確認できていません)

3)産業革命以前に、水の主な機能は生命過程の支持だった。

今やその主な機能は科学技術に奉仕することである。水自身の動く能力はほぼ完全に無視されている。自然の循環は律動的運動の要素としてその力を啓示しているというのにである。ジョン・ウィルクス
こういったことも経験としては適合事例があります
完全に無視するわけにはいかないと考えています

4)音響兵器

音響兵器(おんきょうへいき)とは音波を投射することにより対象物を破壊、あるいは対人において戦闘能力を奪うことを目的とする兵器である。1960-1970年代に旧ソビエト連邦が低周波を利用した物を実用化したとする説も見られる。
現用のものでは、長距離音響装置LRAD(Long Range Acoustic Device)と呼ばれるものがイラク駐留米軍に配備されるとの報道が2004年にあった。この装置は直径80cmの椀型をしており重量約20kgで、約270mの効果範囲にある対象に向け作動させる事で、攻撃の意欲を無くさせる事ができるとしている。
2005年11月5日、エジプトからケニアへの航海途上にあった米国の民間・商用豪華客船がソマリア沖で武装海賊の襲撃を受けた際、長距離音響装置(LRAD)で海賊を撃退したことが報じられた
これだけの結果を出すことが可能なエネルギーであることから、効率の改善により大きく飛躍すると思います(洗浄における現状の使用状態は各種の制御により少なくとも1/4 ~ 1/10 の出力で対応可能です)
この改善を上記のヒントを検討して進め、もう一桁変えたいと考えています

  


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2014年06月30日

散歩

『善の研究』において「純粋経験」という言葉で西田が表現したのは、単なる個人的、主観的体験を超えたところにある、自己の超越でした。それは真理を実在するものとして求める(つまり私と真理が主客の関係にある)「有」の哲学としての西洋哲学へのアンチテーゼといえます。西田は、西欧近代哲学における主客の対立関係を超える物我一体の世界観として、純粋経験をあげたのでした。

西田哲学のポイント
 ☐現実をありのままに見る直観 
 ☐「知識」形成の母体としての「経験」の場
 ☐「直観」→「反省」→「自覚」という知識の弁証法的な発展
 ☐「知識」創造を可能にする「場」の重要性
 ☐ 自己と忘我の循環プロセスが「知識」を生み出す

日本人が知的風土としてきた東洋の伝統から、私たちは知識経営のためのもう一つの知の型を学び取ることが可能です。西洋知になく東洋知にあるものとしては、まず経験や実践の重視があげられます。さらにたえず「われ」という主体にこだわり、そこから主観・客観・経験・理性といった二項対立的世界観を導きだす西洋知に対し、東洋知は「われ」という主体の垣根はさほど高くなく、西洋のように個の確立が厳然と要請されているわけでもありません。そのため、「われ」を超えた主客未分や没我、忘我状態での知、自由に視座を移動させ、融通無碍に形を変える視点からの知がたえず探求されてきたのです。
こうした東西の二つの図式は、それぞれ「場所的論理」と「主語的論理」とも呼べる異なる推論の図式にまで展開されえます。前者は「場所において見る思考、イメージ的同一性による推論」であり、具体的感覚的な論理だといえます。それは西欧の主語的同一性に基づく推論の前段階ともいえる思考なのです。さらに、両者の論理は日常の中では無意識に用いられており、それらを発展的に統合するものとして、弁証法論理が位置づけられるといえるのです。

  


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2014年06月29日

散歩

散歩


土光敏夫

「国民の皆様へ」と題したメッセージ
行政改革は、21世紀を目指した新しい国造りの基礎作業であります。

私は、これまで老骨に鞭打って、
行政改革に全力を挙げて、取り組んでまいりました。
 
私自身は、21世紀の日本を見ることはないでありましょう。

しかし、新しい世代である、
私達の孫や曾孫の時代に、
我が国が活力に富んだ明るい社会であり、
国際的にも立派な国であることを、
心から願わずにはいられないのであります。


「 創造的な分野で能力を発揮させることが、
   人間の可能性を生かすというのである。 」


 「 個人の生活は質素に、社会は豊かに 」

  国民が、国家のリーダーが、
  自分の生活よりも「社会の豊かさ」を目指すことが、
  質素だが幸福な生活を送れる





発明(INENTION)
-(ノーバート・ウィナー) みすず書房 1994

・・・発明は、職人の段階へ達するまでは完了しない。

・・革新の過程における真に重要な一歩は、
少なくとも多くの場合には、
知的風土の変化そのものに他ならず、
それはしばしば産業的利用に数十年も先立つ。

<<< 個性的な科学者は、その本性上、
 自分の真価に対する報酬は金銭にではなく
 自由にあると考えねばならない  >>>

<< 事例 >>
 新しい脱気装置の利用により、
安定した超音波を強く使用できることで大きな効果を出しましたが
 技術的な納得が得られませんでした
(なぜかなんとなく不自然さを感じていました)

 もう一度「自由」に検討を続けた結果、
<ジャグリング制御>の発見により
 「脱気マイクロバブル発生装置は原理としては不要であること」
 しかし「実用的には有効であること」
 の根拠がわかりました

ビジネスや企業の論理では、
 新製品をすぐに否定する検討が行える「風土」は難しいとおもいますが
 重要なことだと思います



開発について
我々は、一般者的自己限定という一方的限定によるのではなくて、

逆に個物的自己限定する、創造的な「歴史的実存」であるのです。

この「一般者的自己限定」と「個物的自己限定」の「矛盾的自己同一」に、

「場所的論理」の焦点があり、これが「場所的限定」の生命となるのです。

秋月龍眠 現代を生きる仏教 (新書)  平凡社 (2001/09)


深さというものは模倣しえるものでなく、

学び得られるものでもない。

西田哲学の深さは先生の人間的な豪さに基づいている。 

三木清 師弟問答西田哲学 出版社: 書肆心水 (2007/03)


コメント
実際に、新しいシステムや装置を開発する場合に、
「ソフトウェアのオブジェクト」・機械構造・機械要素からの限定はあります。

そして、開発者・設計者の主観による限定もあります。

個人や装置のこれまでの経験や経緯(歴史)に基づいて統一することが、
開発(工学)であるように感じています。

従って、この過程から創造が生まれているように思います。

ひとつの例ですが、
smalltalk等のコンピュータ環境が
「言語であり、環境であり、オブジェクトであり、クラスであり、・・」
と言うことを統一してSqueakとなり
さらに新しく展開している状況があると思います。


超音波システム研究所
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2014年02月21日

超音波システム研究所<超音波実験>

超音波システム研究所<超音波実験>

「われわれの最も平凡な日常の生活が何であるかを
 最も深くつかむことによって
 最も深い哲学が生まれるのである
 学問はひっきょうLIFEのためなり。
 LIFEが第一等のことなり。LIFEなき学問は無用なり。」
 西田幾多郎

深い哲学に基づいた
 実験(物として物を観察すること)により
 超音波の有効利用を広めていきたいと考えています
 <超音波システム研究所>

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発明的創造の心理学について
http://ultrasonic-labo.com/?p=1944

超音波(論理モデルに関する)研究開発資料
http://ultrasonic-labo.com/?p=1716

***********************
超音波システム研究所
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***********************


磁性・磁気と超音波の応用技術

http://youtu.be/6CgKio59xTw  

http://youtu.be/Wpv4TTL2Qac

http://youtu.be/6YsI4aqqnkY  

http://youtu.be/9KLOqq5nYAg

http://youtu.be/TAj8wV7ctVk  

http://youtu.be/7TbYtEvoUjQ

http://youtu.be/As58j26LrTI  

http://youtu.be/1nrgaEtUVCc



超音波攪拌(乳化・分散・粉砕)技術

http://youtu.be/VStQrJFBxrw

http://youtu.be/jowNkJJIRAY

http://youtu.be/lkiFPQL2jpI

http://youtu.be/b2lkl_DrptI

http://youtu.be/ZVpXLAnIXGo

http://youtu.be/25y4zHCrE2I

http://youtu.be/4H87dATnOVA

http://youtu.be/WxipcOkvrvo


超音波の非線形現象

http://youtu.be/Q7FV75bKn3g

http://youtu.be/UaQIkufcvKg

http://youtu.be/Y-rHine3hKo

http://youtu.be/d0PuSv3PyAI


充電式超音波洗浄器(50kHz 10W)

http://youtu.be/jV7SeprE9FU

http://youtu.be/43viH8I61ig

http://youtu.be/bzuq_sImkwc

http://youtu.be/Rt2Y2md2N6w


超音波の観察 Observation of an ultrasonic wave

http://youtu.be/xLDAZsQU0YU

http://youtu.be/ibH9fvo02ZY


非接触検査対応:空中を伝搬する超音波実験 (ultrasonic-labo)

http://youtu.be/H2uo2PzgQuQ

http://youtu.be/Ztc2PPGTPrg

http://youtu.be/GFiG4sWiY9o


脱気・マイクロバブル発生液循環システム 
Use technology of an ultrasonic cleaner

http://youtu.be/otRrkTK3P7U

http://youtu.be/1xKhI5Ec6Nk


金属粉末の超音波加工 
Ultrasonic machining of metallic powder

http://youtu.be/2T_kExyOejI

http://youtu.be/9EYGLU6G7LU

  


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